現代のインディ

テレビ・シリーズ "Young Indiana Jones Chronicles" は、1990年代に生きるインディ老人が、ショート・エピソードの中で昔の冒険を思い起こし、登場人物たちに思い出話を聞かせるという構成をとっていました。しかし、老インディのエピソードは各話が22チャプターに再編集された際にすべてカットされています。ここでは各話に収録されていた老インディのエピソードを紹介します。

現代のインディアナ・ジョーンズは、娘とその家族、そして愛猫のヘンリーと共にニューヨークで暮らしている。彼は眼帯と傷跡を誇示し、聞く気のある相手なら誰にでも、かつての冒険談を聞かせる機会を伺っているのだ。

1992年

ニューヨークの自然歴史博物館を訪問していた老インディは、授業を抜け出してきた2人の少年を捕まえた。彼ら曰く、博物館にはつまらないガラクタしかないのだという。だがインディに言わせれば、この博物館には彼の人生でもっとも興奮に満ちた冒険の一部が収められているのだ。インディは少年たちに自分の生い立ちについて話し始める。彼は1899年7月1日にニュー・ジャージーで生まれた。彼は自分がプリンストンでいかにして成長したかを話し、そこで父が中世史学の教授をしていたこと、しかし自分は学校に熱中していなかったことを語る。幼いころのインディは愛犬と遊び、野球をすることの方が好きだったのだ。やがてインディの話は、子供のころに両親と出かけたヨーロッパとアジア全域にわたる旅行のことへと移り、1908年にエジプトで古代の墓を探索したときの思い出話には、2人の少年も興味をそそられるのだった。

「ジャッカルの呪い」の前半 / チャプター1の前半が挿入

こうしてインディたちが見つけた金のジャッカルの頭部がいかにして盗まれたかという話が終わると、少年たちは彼がジャッカルを取り戻したのかどうかを教えてほしいと要求する。インディは、シーモアと共にカイロに戻って両親と遭遇し、旅行を続けたのだと説明した。そして、彼は猫のヘンリーに餌をあげなければならないと言って立ち去ろうとするが、少年たちは続きを聞かせてほしいと懇願し、やがてはインディも承知するのだった。彼は、8年後の1916年の春休みにメキシコへ行き、当初はメキシコ革命に参加したが、最終的にそこでジャッカルを取り戻したという話を聞かせる。そしてインディは、いかにして自分とレミがヨーロッパへ渡り、大戦へと参加したかを語るのだった。

「ジャッカルの呪い」の後半 / チャプター6の後半が挿入

インディの思い出話に興奮した少年たちがジャッカルのその後について訪ねると、インディはディスプレイ・ケースの1つを杖で示す。ジャッカルはまさにこの博物館に収められていたのだ。話を終えた老インディは、もう一度若さと冒険心を取り戻し、階段の手すりを滑り落ちながら退出するのだった。


老インディは税金について調べるため、会計士と共に昼食をとっていた(彼には領収証のない経費が極端に多く、税務署からたびたび追求されていたのだ)。そのとき彼の耳に、ヴィッキーを思い出させる懐かしい声が聴こえてくる。インディは会計士に、1916年のロンドンでヴィッキーと出会ったときの話を聞かせるのだった。

「1916年 5月 ロンドン」 / チャプター7の後半が挿入

話を終えた後、インディは彼女とは再び会うことがなかったことを告げる。彼はヴィッキーと別れたときの鉄道乗車券を未だに持ち続けていた。すると、先ほどの声の主がヴィッキー本人だったことが判明する。それを知ったインディは幸せそうに喜んだ。2人は長い歳月を隔てた再会を祝い、お互いを抱擁し合うのだった。


老インディは首都財団が教育の質の向上のために毎年開催する、有名人のテニス・シューズ・オークションおよび夕食会に出席し、見知らぬ人たちのグループと同じテーブルについていた。すると、2人の女性が着ている毛皮について議論を始める。片方の女性は、人類が破壊した自然界のバランスを取り戻すことについて話していた。逆に、毛皮を着た女性は夕食に子羊の肉を注文し、もう1人の女性を激怒させる。インディは2人の自然界のバランスについての議論で昔を思い出し、1909年にアフリカでテディ・ルーズベルトとサファリを探検したときの話を語り始めるのだった。

「1909年 9月 英領東アフリカ」 / チャプター2の後半が挿入

インディは話を終え、夕食を済ませると、その場を去っていった。残された人々は結局彼の話の要点は何だったのかと困惑するのだった。


飛行機に乗っていた老インディは、自分の隣にこの航空会社の新しいオーナーが座っていることに気づいた。この男は企業を次々と買収しては分割し、事業を細切れにして売却していくという手法によって知られており、実業界では「ウォール・ストリートの海賊」と呼ばれている人物なのだ。インディはこの男に航空会社を分割しないようにと説得を試みるが、彼は従業員たちに敬意を払っていなかった。インディは彼を見て、1916年のベルダンでフランス軍を指揮していた将軍を思い出す。その将軍は兵士たちの命にまったく敬意を払っておらず、彼らを死の待ち構える塹壕へと送り出したのだ。インディはそのとき20,000人の犠牲者を出しながらも、いかにしてフランス軍がフォート・ドゥオモンを奪回したかを語り始めるのだった。

「1916年 9月 ベルダン」 / チャプター9の前半が挿入

ペタン将軍は戦後政治家となり、自身の道徳規範に従って苦しい人生を歩むことになったという。一方、ニベル将軍は軍を退役し、自分の行動がもたらした結果を決して理解しないまま、惨たらしい老人として死んだとされている。だが、インディの話は馬の耳に念仏だった。男はインディの話を聞きながら眠り込んでいたのである。


蜂に刺された足が腫れたため病院を訪れた老インディは、銃で撃たれたという少女が緊急治療室へ運び込まれるところを目撃した。彼はこのような現場に立ち会うことの悲しさを訴えるが、隣に座っていた男性は、おそらくは身寄りのない孤児だろうと言い捨てる。憤慨したインディは、1916年のアフリカで、自分と指揮下の兵士たちが幼い孤児を見つけたときの話を語り始めるのだった。

「1916年 12月 独領東アフリカ」 / チャプター11の前半が挿入

インディによると、その子供は後に中央アフリカ共和国の初代大統領、バーテルミー・ボガンダになったという。バーテルミーがいつ自分を育ててくれた宣教師のもとに連れてこられたのか理解できる歳になったとき、インディは彼に手紙を書いたのだった。すると、医師が先ほどの少女に輸血を行うため、彼女と同じ血液型の人はいないかと訪ねてきた。インディの隣の男は、自分が彼女と同じ血液型の唯一の人間であることに気がつき、しぶしぶ手を上げる。インディが立ち去ろうとしたとき、男は彼に向かって、会わなければ良かったと呟くが、インディはいつものことだと答えるのだった。


病院で待っている間、老インディは少女に輸血を行った医師と話していた。医師はこの少女のように罪のない人々が、マフィアの抗争に巻き込まれ、傷ついたり命を奪われたりしている状況を嘆いている。彼によると、全力を尽くしてはいるが、時折それが不十分なように思えることがあるというのだ。これを聞いたインディは、かつてジャングルで出会った医師のことを思い出し、1917年初頭にシュバイツァー博士と遭遇したときの話しを語り始めるのだった。

「1917年 1月 コンゴ」 / チャプター11の後半が挿入

インディは、シュバイツァーが戦後再びアフリカに戻り、ジャングルに病院が再建されたことが分かったと告げる。さらに彼はもう1つのより大きな、設備の充実した病院を建てたのだ。すると看護婦が現れ、少女がなんとか命を取り留めたと報告する。医師はインディに会えたことをとても喜び、少女の親への説明に向かうのだった。

1993年

老インディは郵便物と間違ってハンバーガーをポストに投函してしまい、それを取り出そうと奮闘してた。そこへ郵便物の回収のため局員が現れ、彼女は一旦ポストに投函されたものは、配達されるまでアメリカ政府の所有物になるのだと説明する。インディは、荷物を届けるのにこんな苦労を味わうのは、第1次世界大戦でスパイをしていたとき以来のことだと嘆いた。1917年8月、彼はオーストリアと連合国との単独講和を取り決める親書を、オーストリアのカール皇帝へ届けるという任務を与えられたのだ。インディは彼女にこのときの話を語り始めるのだった。

「1917年 3月 オーストリア」 / チャプター13の前半が挿入

インディは彼女に、もし自分たちが 成功していたとしても、やがてカイザーはこの計画のことを嗅ぎつけ、カールに造反するよう圧力を掛けただろうと説明する。戦争はさらに何年も続き、数百万の命が失われることになった。結局、カール皇帝はオーストリア最後の皇帝となったのだ。局員はポストを開き、インディのハンバーガーと郵便物を交換する。彼は立ち去り際に、制服を着た女性には弱いと告げるのだった。


老インディはドーナツ店の店員が年配の女性客にとても失礼な態度で接しているところを目撃する。彼は店員の顎に杖を掛け、そのままカウンタに押さえつけて説教を行った。インディが店員に対して女性への謝罪を迫ると、店員は怯え、仕事が辛くて苛立っていたと釈明する。だが、インディは同情しなかった。彼は本当の辛らさとはどういうものかを教えるため、1916年にソンムの塹壕で戦ったときの話を店員に聞かせるのだった。

「1916年 8月初旬 ソンム」 / チャプター8の前半が挿入

すると警察が現れ、青年に対する暴行の罪でインディは逮捕されてしまうのだった。


インディは刑務所へと連れられるが、自分を閉じ込められる刑務所など存在するはずがないと叫ぶ。そこで彼は他の在監者たちに脱出を試みたものはいないかと尋ねるのだった。だが、誰も名乗りを上げず、逆に彼は笑いものにされてしまう。そこでインディは在監者たちを集め、1916年に自分がドイツの刑務所からいかにして脱出したかという話を聞かせるのだった。

「1916年 8月中旬 ドイツ」 / チャプター8の後半が挿入

インディの昔話にうんざりした他の在監者たちは、彼を追い出してほしいと叫びだし、守衛を呼び寄せる。守衛は弁護士を待つインディを他の房に移すが、彼は1時間以内に必ず脱出してみせると豪語するのだった。


老インディはペンシルバニア歴史学会で講義を行うため、学校に到着した。だが、彼は教壇をひっくり返し、マイクを落として、学生たちに大笑いされてしまう。インディはかつてスパイだったときに同じような失敗を演じたことを思い出し、1917年にバルセロナでスペインを連合軍に加担させようと工作したときの話を語り始めるのだった。

「1917年 5月 バルセロナ」 / チャプター14の前半が挿入

彼によると、結局スペインは戦争に参加しなかったため、彼らの行動はすべて無駄に終わったのだという。そして話を終えたインディは、学生たちから盛大な拍手を浴びるのだった。しかしその直後、彼は自分が講義したクラスがアメリカ神経学会議の会場だったことを知らされたのである。


老インディは、孫のスパイクとそのバンドがリハーサルをしようとしていたときの雑音にうんざりしていた。彼は孫たちに、一曲も上手に弾けないのならギターの演奏などやめてしまえと言う。するとスパイクは、上手になる必要も、有名になる必要もないと反論するのだった。インディは、音楽にはまず音楽ありきだと説明する。スパイクはさらに狼狽を続けるが、インディは戦争から戻った1920年にシカゴ大学に入学し、シドニー・ベシェからソプラノ・サックスの演奏を学んだときの話を聞かせるのだった。

「1920年 4月 シカゴ」 / チャプター20の前半が挿入

インディはこれまでに習った曲を一曲だけしか演奏していないという。それは「きらきら星」だった。だが、これは彼にとって最高の「ジャズ」なのだ。


スパイクのバンドがガレージで練習していると、雑音に腹を立てた隣人が押しかけ、老インディの家のドアを叩き始めた。インディはヒューズを外し、電源を止めてしまう。だが、スパイクは音楽でみんなを和ませようとしていたのだと釈明する。するとインディは全員の前で、1920年のシカゴにいた友人たちもブルースの演奏を行い、同じようなことをしていたと語り始めるのだった。

「1920年 5月 シカゴ」 / チャプター20の後半が挿入

しかし、彼はスパイクにヒューズを返さなかった。こうして隣人たちはいくらかの平和と静寂を得たのである。


老インディがガソリンスタンドに立ち寄ると、男が巨大なタイヤを持つトラックをジャッキで持ち上げ、作業していた。インディが彼に、なぜそんなに大きなタイヤが必要なのかと尋ねると、男は10代のころから街で一番ホットな車を運転するのが夢だったのだと答える。インディは、1916年にトーマス・エジソンが開発した初期のレースカーを運転したときの話を聞かせるのだった。

「1916年 2月 プリンストン」 / チャプター6の前半が挿入

やがて話が終わると、男はインディを車に乗せ、ドライブを始めるのだった。


老インディがある写真展を鑑賞していると、係員の男がまもなく閉館であることを伝えるために近づいてきた。インディは今見ている写真の説明文が間違っていると指摘する。彼曰く、この写真はボルシェビキの10月革命当時ものではなく、その年の7月に行われた初期のデモ行進のものだというのだ。だが係員によると、彼らも写真に関しては広範囲な調査を行っているのだという。インディは、1917年にロシアでスパイをしていたときの話を語り始めるのだった。

「1917年 7月 ペトログラード」 / チャプター13の前半が挿入

この写真が撮影された日、およそ400名もの人々が、まだ革命が起こっていないことを知る術もなく死んでいったのだという。係員が彼になぜそんなことを知っているのかと尋ねると、インディは写真の中にぼやけて写っている人物を示し、これが自分だからと答えるのだった。


老インディはニューヨークで行われている演劇を鑑賞しに行くため、タクシーに乗車した。すると女性運転手が他の運転手、とりわけ男性運転手にたいして怒号を浴びせ始める。インディは彼女になぜ男を嫌っているのかと尋ねるが、彼女によると、男はすべて獣だというのだ。インディは、彼女がおそらく完璧な相手を探しているのではないかと指摘し、1920年の夏に劇団の裏方として働いていたとき、同時に3人の女性とデートする羽目になった話を聞かせるのだった。

「1920年 6月 ニューヨーク」 / チャプター21の前半が挿入

運転手は3人の少女がその後どうなったのかと尋ねるが、タクシーは既に劇場に到着しており、インディは降りてしまう。彼女は彼に向かって、男なんてみんな同類だと叫ぶのだった。


劇場で自分の席に座った老インディは、隣の席に演劇評論家が座っていることに気づいた。すると評論家は、演劇を鑑賞する前からそれを酷評する内容のレビューを書き始める。インディは彼に、君は評論家なのか、それとも単なるゴシップ好きなのかと尋ねた。続いてインディは、1920年に劇団の裏方をしていたときにも、同じようなことをしていた評論家がいたという話を語り始めるのだった。

「1920年 7月 ニューヨーク」 / チャプター21の後半が挿入

そして演劇が終わると、評論家はインディが正しかったことを認める。彼はこの演劇がいかに素晴らしいものだったかを理解したのだ。だが、インディはあまりにも酷い演劇だったことに気分を害していた。評論家は彼に、この演劇に多く携わっている若者たちについてどう思うかと尋ねる。するとインディは、恥を知ってとっとと辞めるべきだと言い放つのだった。


老インディの子供たちは、彼が猫を助けようとして自分が木から下りられなくなっていたという事件を考慮し、インディに自分の面倒を見る能力があるのかと疑問に思っていた。頭にきたインディは、自分がまだボケていないことを証明するため、精神科医のところへと向かう。そこで彼は、自分が正気であることをテストしてくれと要求するのだった。女医が彼に、家族の中で精神病歴がある人はいないかと尋ね、インディは家族にその質問を繰り返す。だが、彼の家族には精神不安定と診断された経験のある人間はいなかった。次に女医はインディに、精神分析を受けたことがあるかと尋ねる。すると彼は、かつてジークムント・フロイト、カール・ユング、アルフレッド・アドラーから助言を受けたことがあると答えるのだった。女医はカルテに「妄想症の疑いあり」と記入するが、インディはそれに構わず、1908年にウィーンでゾフィー王女に恋したときの話を聞かせるのだった。

「1908年 11月 ウィーン」 / チャプター3の後半が挿入

話が終わり、インディはそれ以来一通もゾフィーから手紙を受け取っていないこと、そしてゾフィーが自分からの手紙を受け取ったどうか一切分からないままであることを告げる。女医はインディが決して正気を失っておらず、ボケてもいないという結論を下し、誤った認識を正すのだった。そして彼が帰ろうとすると、彼女はその後ゾフィーとの再会は果たせたのかと質問する。インディはできたと答えるが、それはまた別の話だった。


老インディは混み合った駐車場で空いている場所を探していたが、そこでは彼と同じように他にも2人の男が空いている場所を探していた。すると他の2人はちょうど彼らの中間地点に空きを見つけ、そこへ向かって同時に前進を開始する。2台の車は競争となり、ついには衝突するのだった。両者は互いに怒鳴りながらバックし、もう一度最初からやり直そうとする。だが、その隙にインディが空いている場所に到着し、まんまと駐車してしまった。2台の車はインディの前で再び衝突し、揃って彼に怒鳴りつけると、再び2人で口論を繰り返す。これを見たインディは、1918年にイタリアで1人の少女を巡り、アーネスト・ヘミングウェイと同じような争いを演じたときの話を語り始めるのだった。

「1918年 6月 北イタリア」 / チャプター16の後半が挿入

話を終えたインディは彼らに、失意から立ち直った自分がその後ローマに送り出されたことを告げる。そして彼は、戦う目的を見失ったとき、それは戦う価値が無くなったことを意味しているのだと説いた。インディは歩いて立ち去ったが、やがて戻ってきても2人はまだ彼に怒鳴り続けていたので、車を動かしたのだった。


老インディの娘が、彼の孫ルーシーの学校で祖父母によるお茶会が始まる時間だと言い、インディが夢中になってみていたテレビ・ドラマを切ってしまった。だが、インディは終わるまで見ていたいという。娘はつまらないドラマだと言い捨てるが、インディは純粋なメロドラマだと反論するのだった。彼女によれば、それには真実味がないというのだ。そこでインディは、人生があたかもドラマのように思えた時代があると言い、1916年のイースター隆起の際にアイルランドにいたときの話を語り始めるのだった。

「1916年 4月 アイルランド」 / チャプター7の前半が挿入

話を終えたインディは、結局ショーン・ラマスが暗殺されることはなく、彼は後にアイルランドの首相になったのだと説明する。オケイシーもそのままでは終わらず、偉大な演劇を作り上げたのだった。すると、インディの娘が時間であることを告げる。インディはまだドラマの続きを見たかったが、娘はもうとっくに終わっていると言うのだった。彼はなぜ話を止めなかったのかと問いただす。すると娘は、かつて誰もそれに成功した人間はいないと答えたのだった。


美術品のオークションに参加していた老インディは、ドガの絵が競売に掛けられていることを知った。彼は隣にいた女性に、この絵が描かれたとき、自分もそこにいたのだと告げる。彼は彼女に、1908年にピカソが自分で描いた絵の1つにドガの署名を入れ、ドガを騙したときの話を語り始めるのだった。

「1908年 9月 パリ」 / チャプター2の前半が挿入

インディは、ドガは初めから何もかも知っていたのだろうと考えていた。するとその絵は、これをドガの絵だと信じている日本人によって落札される。インディはそれがお買い得品であることを告げると、男はいつかピカソの絵を買えるくらいの金持ちになりたいと言うのだった。


娘とその家族と一緒に感謝祭のご馳走を食べていた老インディは、幼いころにこれとは別の感謝すべきご馳走にありついたときのことを思い出した。彼は家族たちに、1910年の北京での冒険について語り始めるのだった。

「1910年 3月 北京」 / チャプター5の後半が挿入

インディによれば、そのときがこれまでに出席したなかでもっとも素晴らしい感謝祭だったという。すると孫のルーシーが、その話とクランベリー・ソースに何の関係があるのかと訪ねた。インディは何も言わず、孫のハリーにそれを食べてみろという。おそらくハリーは、インディと同じようにクランベリー・ソースが大嫌いだということに気づくだろう。


老インディが喫茶店のカウンターに座っていると、隣に機嫌の悪そうな男が座ってきた。彼はウエイトレスに向かって怒鳴りつけ、インディはなぜそんな無礼な態度を取るのかと訪ねる。すると男は、社会が自分に反抗的であると答えるのだった。彼は転職し、家も売ったが、その後解雇されたのだという。彼は自分より不幸な人間もいるということすら考えられないのだ。そこでインディは彼に、1910年に出会ったこれまででもっとも驚くべき人物、クリシュナムルティについて語り始めるのだった。

「1910年 1月 ベナレス」 / チャプター5の前半が挿入

インディ曰く、クリシュナムルティは1929年に神智学者協会から脱退し、その後15年にわたって世界中を旅しながら、神はすべての人々の中に存在していること、そして人類は互いを思いやるべきだということを説いて回ったのだという。インディはその男に、自分が説明したことについて深く考えさせるのだった。


食品雑貨店のレジに並んでいた老インディは、他愛のないゴシップ雑誌を目にした。彼がこの世界のどんな人種がこんな雑誌を読むのかと訪ねると、隣にいた女性はあなたのような人たちが読むのだと答える。彼女はこんな雑誌の内容を信じるものがいるのかと考えていた。だがインディによれば、真実はときとしてこのような雑誌に書かれている内容以上に素晴らしいものだという。彼は1916年の休暇中にパリでマタ・ハリと遭遇したときの話を語り始めるのだった。

「1916年 10月 パリ」 / チャプター9の後半が挿入

結局、マタ・ハリはインディと別れた1年後にスパイ容疑で処刑されたのだという。女性はインディに、彼女は本当にスパイだったのかと訪ねた。だが、それはインディにも分からない。真実は誰にも分からず、彼はマタ・ハリ自身ですらそれを知らなかったのではないかと考えている。上流社会の友人たちは誰一人として彼女を助けようとしなかったが、インディは今でも自分が何もできなかったことを申し訳なく思っているのだ。


老インディはビリヤード場で高額な賭金の掛かったゲームを挑まれた。インディは挑戦者たちに鮮やかなトリック・ショットを披露して驚かせ、まず物理法則を良く理解することがすべてであると説明する。そして彼は対戦者たちに、1908年にパリで物理学を学んだときの話を語り始めるのだった。

「1908年 5月 フィレンツェ」 / チャプター3の前半が挿入

話を聞いていた少女の1人がインディに、彼の母は再びプッチーニと会ったのかと訪ねる。インディは会ってはいないと思っていた。その後、プッチーニは西部開拓時代の女性が登場するオペラを製作したが、その女性は愛する男のために家族や友人たちを捨てたのである。


ハロウィーンの日に、お菓子をねだる3人の子供たちがインディの家を訪れた(だが、彼らはインディの昔話に延々と付き合わされることは避けたいと思っている)。インディは頭からシーツを被って幽霊の真似をしていたが、子供たちを怖がらせる計画は失敗してしまう。その後、彼は子供たちに幽霊を信じないのかと訪ねた。子供たちが信じないと答えると、インディもかつては信じていなかったという。そして彼は子供たちに、自分が幽霊の存在を信じるようになった事件、1918年のトランシルバニアで吸血鬼ブラド・ツェペシュと対峙したときの話を聞かせるのだった。

「1918年 1月 トランシルバニア」 / チャプター17の後半が挿入

話が終わっても、子供たちはまだ半信半疑だった。だが、偽の牙を生やし、口から血糊を滴らせたインディが振り向くと、彼らは悲鳴を上げて逃げていったのである。

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