19. 変化を告げる風 Winds of Change

作品について

このエピソードは「ヤング・インディ・ジョーンズ・クロニクルズ」の第24話として放映された「1919年 5月 パリ」と、新たに作られた「1919年 プリンストン」を組み合わせ、1つのエピソードとして再編集した作品である。

パリ編は海外でテレビ放映されたのみであり、プリンストン編はシリーズ再編の際に作られた追加エピソードであるため、海外でも単独でのテレビ放映はされていない。再編集によってチャプター19となった後の作品はビデオ化されている(国内版は既に絶版)。

ストーリー

1919年 5月 パリ Paris - May 1919

ドイツは連合軍に降伏し、そしてカイゼルは退位し、祖国から逃亡した。連合国側のリーダーたちは平和会議のためパリに集まっている。この会議の主な3人の実力者は、フランスのジョルジュ・クレマンソー首相、イギリスのデイビット・ロイド=ジョージ首相、そしてアメリカ合衆国のウッドロー・ウィルソン大統領である。インディはアメリカ代表団で通訳の仕事を得ていたが、彼の上司はインディの仕事振りに満足し、この会議が終わった後も国務省での仕事を用意しようと話していた。このとき、インディはT.E. ”ネッド” ロレンスと再会を果たす。アラビアが独立を認められ、ネッドはその事実が理解されるよう務めていたのである。何十という国々が自由のための会議を求めており、ネッドは植民地主義が既に滅びたと信じているのだった。

ネッドはインディを夕食に招待した。その席で、彼はアラブの理想を擁護してきた作家、ガートルード・ベルを紹介する。さらに、イギリス代表団の1人、アーノルド・トインビーが彼らの席に加わった。トインビーは、会議の指導者たちが血と報復を求める民衆の叫びに屈しないかと心配している。インディはウィルソンを善人であるとし、大統領を擁護した。だがトインビーは、ウィルソンが自ら掲げた国際連盟という理想に取り付かれていると指摘し、彼はそれを実現するためなら何でもするだろうと考えていた。彼曰く、世界は変化を迎えており、歴史も渦を巻いて動いているのだ。彼らが今ドイツを押さえつけようとしても、ドイツは再び隆起するだけである。トインビーはインディに次のような助言を与えた。「歴史の教訓を忘れるものは、それを繰り返す運命にある」インディはこの言葉を日誌に刻んでおくのだった。

その翌日、ウィルソン大統領は会議の席で、彼の掲げる国際連盟について演説を行った。夕食の後、ネッドはインディとガートルードに自由なアラビアについての夢を打ち明ける。だが、不幸にして政治はそれを認めないだろう。イギリスはアラビアに自由を約束したが、彼らはクウェートとその油田と引き換えに、フランスにもアラビアの提供を約束していたのである。数日後、インディはウィルソン、ロイド=ジョージ、クレマンソーの間の会話を翻訳するため、ウィルソンの書斎に呼ばれていた。彼らはアラビアに関して議論をしているが、ウィルソンはロイド=ジョージとクレマンソーの密約に不満だった。彼は人々の意思を確認し、誰がそれを統治すべきか調査するよう議会に提案する。他の2人もしぶしぶそれに同意するのだった。

その夜、夕食の席でインディは事の成り行きをネッドに説明した。彼はその結果を喜び、これがアラビア解放の一助になるだろうと考える。しかし、彼には会議の結果を待つつもりはなく、ファイサル国王を通じて自分の案件を会議に提出し、ウィルソンを圧倒するつもりだったのだ。だが、インディは彼の考えを快く思わず、2人は口論となる。ついにはネッドが退席し、インディも彼を追うが、言い争いの一部始終を聞いていたベトナム人のウエイターによって止められた。ウエイターはインディとの話し合いを求めるが、彼は急いでネッドを捕まえるため、それを拒否する。そしてインディが街路を下ってネッドに追いつくと、ネッドは悲観的過ぎたと詫びるのだった。このとき彼は、インディがいかに理想を失わずにすべての戦争を終えたかを思い知ることになる。そして数日後、アラビアのファイサル国王が会議で演説を行い、ネッドがその翻訳を行った。ファイサルは、イギリスによる自由の約束の履行と正義を求め、自分の国が植民地保有国に対する戦利品のように分割されるべきではないことを要請したのである。

そしてその晩、家に向かって歩いていたインディは、先のベトナム人ウエイターに呼び止められる。彼はグエンと名乗り、会議での演説を希望する愛国者代表団の一員だと自己紹介するが、誰も話を聞いてくれず、絶望的になりかけているというのだ。インディは助けを確約できないまでも、何かできることを探してみると申し出る。そしてインディはこの考えを上司に提案するが、彼は反対だった。彼はインディに、世界中の人々の救済についてウィルソンが言ったことはすべて忘れろと指示する。しかし、大統領は行ったり来たりだが、外交官は常駐していた。インディはなんとか上司を説得し、ベトナム人を公聴会に出席させることに成功する。その後、ベトナム代表団は外交官に要望書を提出することができた。彼らが求めるものは、確かな自由とフランス議会での発言権だけである。彼らはそれについて検討するという返事を得ることができたのだった。会場の外でインディは、もっとうまく事を運ぶことを望んでいたのにと謝罪する。しかし、グエンは話を聞いてもらう機会を得ただけで幸せだったと答える。代表団の他のメンバーたちは「祖国の父」という意味を込め、彼をホー・チ・ミンと呼び、その後、彼らは帰路についたのだった。

夕食のとき、インディは誰も気にかけてくれないことにうんざりしていた。トインビーは彼に、庶民の利益に関心を持っているのはウィルソンだけだと告げる。自らの利益のために世界を分割しようとする植民地保有国の真の決定は、内密に行われているのだ。インディには、そもそも彼らがなぜ戦争を行ったのが理解できなかった。するとネッドが現れ、ようやくドイツの代表団が到着したことを彼らに知らせる。ドイツの代表団は、フランスによって戦場のもっとも荒廃した地域を列車で移動するよう強いられたため、到着が遅れたのだった。さらにその列車は駅で怒り狂った暴徒と遭遇し、警官隊が辛うじてそれを鎮圧したのだという。ドイツの代表団はタクシーにも乗車を拒否され、ホテルまで歩くことを余儀なくされたのだった。

インディとネッドは、なぜこの戦争が行われたかについて話していた。当初、ネッドは民主主義の保護が理由だと考えていたが、彼は未だにそれが達成されていないと感じているのだ。その後、家に向かって歩いていたインディは、ドイツの代表団が怒りに駆られた暴徒たちに追われている光景を目の当たりにする。彼は暴徒たちを追ってホテルまで向かうが、そこではボーイたちが代表団の荷物を暴徒たちに放り投げていた。インディはフロントに近づき、なんとかバッグを1つ取り戻すと、それをドイツの外交官に手渡す。翌日、ドイツ人たちは会議に出席したが、クレマンソーは彼らに交渉権がないことを告げ、ドイツは15日以内に協定書に署名しなければならないと言い切るのだった。

オペラ鑑賞を終えたトインビーがインディ、ネッド、ガートルードと合流する。彼は、ウィルソンが最終的に自身の掲げた14項目のほぼすべてにおいて妥協したことを伝えてくれた。さらに、ドイツに課せられた賠償額は、当初の予想よりもはるかに厳しいものだったという。この計画はドイツを破産させ、おそらくは他のヨーロッパ諸国をも巻き込むことになるだろう。トインビーの予想によれば、10から20年後に再び世界中が戦争をはじめることになるというのだ。だが、彼もドイツがすべての戦争責任を負わなければならないとする立場だった。会議の席で、ドイツの代表団はウィルソンの14提案にしたがって武装解除を行ったと述べたが、その内容は条約に含まれていなかった。ドイツ代表団の首脳は戦争犯罪について罪状を認否したが、クレマンソーが条約を受け入れるよう非難したため、嫌々ながらに同意したのである。

その後のレセプションに、若いドイツ人の外交官が入場してきた。すべての人々が立ち止まり、彼を凝視する。インディが彼のところへ行き、コーヒーの入ったカップを取るのを手伝うと、ドイツ人外交官も彼をホテルで助けてくれた人物であると認識した。2人は会話を交わし、互いにベルダンで戦った経験があることを知る。そしてこのドイツ人は、会議の支配者がすべてを自分の思い通りにするなら、誰のためにも良い将来は訪れないだろうと呟くのだった。やがて正式な調印が行われた後、大きな祝賀会が開催され、インディは会議が無事に終わったことを素直に喜んだ。しかし、トインビーはその考えに同調せず、今回の会議は始まりに過ぎないと主張するのだった。

その後、アメリカ代表団事務所の荷造りを手伝っていたインディは、ベトナム代表団からの要望書が入ったファイルを発見するが、そこには「開封禁止」というスタンプ押されていた。そして、インディは上司と共にウィルソン大統領のオフィスに呼び出される。彼らはそこで、ウィルソン、ロイド=ジョージ、クレマンソーによるもう1つの会議を目撃するのだった。ウィルソンはアラビアに権限委譲がなされていないことに苛立ちの募らせていた。ロイド=ジョージによれば、中東情勢はあまりにも不安定であり、今は意思決定のときではないというのだ。その代わりに、彼とクレマンソーはイギリスおよびフランスによる「影響地帯」を提案した。また、彼らはファイサル国王にも便宜を図ることをウィルソンに約束したのである。彼はこの提案に同意するが、散会後も不信感に満ちていた。彼は確かに国際連盟を実現させたが、その代償はあまりにも大きかったのだ。

インディは国務省での仕事を断ることを決め、その代わりに故郷へ戻り、考古学を学ぶため秋からシカゴ大学に進学する計画を立てていた。彼とネッドはその後も連絡を取り合うことを約束し、列車の駅で別れを告げる。ネッドは別れ際、インディに次の言葉を残した。「我々は老人たちに勝利を与えたが、彼らはそれを放棄した。我々は彼らに新しい世界を提供したが、彼らは再び古い世界を作った。そして世界はさらに悪い方へ進むだろう・・・」

1919年 プリンストン Princeton 1919

国際政治の難解かつ皮肉な現実に幻滅した若きインディはニュージャージーのプリンストンに帰ってきた。彼はここで少年時代からの友人だったポール・ロブソンが過酷な生活をしいらている現状を目の当たりにすることになる。

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